私はシャルリではないと言うのをやめた話。


今回の件に関して、ネットで出来る限り色々と情報源を当たって調べてみた後、
僕がJesuisPASCharlieを述べる理由として以下を考えていた。

ーーーーーーーココカラーーーーーーーーー
表現の自由が失われているという問題。
表現の自由とは何のためにあるか、それは権力によって言論の多様性が失われるのを防ぐため、また多様な価値観を認めるためのはずだ。
しかしながら、おそらく現在Jesuispascherlieを声高に叫んだならば、おそらく不快を示す、または反対をする人が必ずいるだろう。少なくとも、先日の広場でそれを掲げればボコボコにされたかもしれない、とも思う。この時点でjesuisCharlie自体が表現の自由を失わせているのだ。言論の多様性を守るための闘いが、シャルリなのかそうでないのかという二択を迫るという、極めて逆説的な結果を招いていてはいないだろうか。

宗教・移民の問題。
単純な侮辱であって、表現の自由という文脈で擁護されるべきものではないだろう。その侮辱をシンボルとしてしまっていることに問題はないか。

結果として、今回の反テロ運動は右の連帯を強める文脈に利用されてはいないか。
非暴力、テロ反対には同意。
表現の自由が大切なのにも同意。
表現の自由を失わせるテロは許されないという意見にも同意。
しかし、私はシャルリであるという標語による連帯は、どうにも賛成できない。少なくとも、侮辱をシンボルにしている点、そしてイデオロギーの誤解を招くという点で。
ーーーーーーーココマデーーーーーーーーー

留学経験のある人なら共感頂けるか分からないが、ボキャ貧やら知識不足やらで普段あまり知的な話が出来ないので(普通の速度で会話しようと思うと、どこそこに何があって、それは素晴らしくて、楽しかった!みたいな10歳レヴェルの意見か、質問をして感想を述べるかの2パターンになりやすい)、
この国家的事態について少しでもまともな意見を発してみようと、上記のあらすじや理論武装を用意して、ランチの時にそれとなく同僚に話題を投げてみた。

が、ヨーロッパにおける言論の自由は、想定以上に複雑だった。

実際に広場に行った同僚達との談。
「街はあらゆる宗教、あらゆる国籍の人で溢れていた。」
「ムスリムはどうだったか?」
「彼らも居た。特に怒っているという様子もなく、表現の自由を掲げていた」
「そこの雰囲気はどうだったか?私はシャルリでないと言えるような雰囲気だったか?」
「表立って言う人はいなかったが、何でも話合える雰囲気だったし、多くについて多様な人々の間で語り合っていた。」

ここまで聞いて、想定していたのと全然状況が異なることに気づいた。軽々しく、また偉そうに意見しようとしていた自分を恥じた。

その後簡単に教えてもらったこと。
欧州では、周知の通り移民が多いし、他国籍の人は常に身近に存在する。常に互いの利権は衝突するという前提に立って話を進めなければならない。表現の自由はその枠の中で担保される、つまり相手を公然と罵倒することは許されない。ルールを守った上での表現の自由なのである。
例えば、フランスやドイツでナチスに対してポジティブな意見を発することは有罪だ。先日も右派のルペンが強制収容所の存在を否定して懲罰対象になった。

その後も色々教えてくれていたんだが、政治のボキャが足りないし政治についての理解も足りないし、さらに欧州の歴史も知らない身の上で理解できる事はほとんどなかった。
おそらくヨーロッパの常識レベルについて語り合っていたのだろう、イギリス人とは話が弾んでいた。もう付いていけなかった。

今回の件に対しての反省として、

1、非常に悪いクセだが、自分が持っている範囲内での情報で「ぼくのかんがえたさいきょうのいけん」を組み立てる傾向があることに気づいた。知らない領域が多すぎる場合には意見をでっち挙げる前にまずは沈黙して背景を抑えなくてはならない。

2、その国の教育を受けていないと分からない事は山積する。例えば南京大虐殺に対しての日本の見解とかそれにまつわる現在の云々とか、そういうのは史実を追うだけでは出てこない。そして今回の件では、あまりにも知らない事が多かった。表現の自由についてのフランスの歴史、他国とのパワーバランス、移民問題、宗教問題などが歴史的にどのように処理されてきたか、それに対して昨今はどのように変化しているか、等把握せずに話せることはない。いやー世界史履修漏れなんすよテヘ、なんて言い訳は大学生までしか許されまい。各地域の流れの大筋を改めて確認する必要がある。

3、政治宗教経済に対する理解の浅さ。ボキャもそうだけど、その発達の経緯とか基本的な理解が落ちている。戦争の文脈も合わせて網羅的に追いたいところ。同時に日本についてそのレベル以上に物を語れるようになっておきたい。

まとめ
日本育ちのデメリットは、対立についての『皮膚感覚』のようなものが落ちていることじゃないだろうかと思うことがある。自分があまりに不勉強であるのは全く正しいのだけど、フツーに日本で学生やってる限りこの辺りの理解が伸びるとは思いにくい。Newsweek読むとか、国際情勢追うとかはやっていたつもりだったが、前提となる基本が落ちているとダメだなあ。
専門の勉強もおぼつかないが、この辺りは学生終わるまでにしっかり押さえておきたい。幸いにしてまだ1年ある。しかしながら、活動領域を広げると、勉強することがべき乗で増えるなあと痛感。そして軽薄な持論を軽率に展開する前に、とりあえずは広場に行くべきだったと後悔。

最後に、ランチの話題としてこういった固い話をオープンにできるヨーロッパの土壌は素晴らしい。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする